今回は、犬追物に執着するあまり、やや正気を失っている、蜷川親順という人物の書状を読んでみたいと思います。

 

蜷川氏は、室町幕府の政所代をつとめた家柄です。

 

その蜷川一族である蜷川親順が、石見国の武士である益田宗兼に宛てた書状です。

 

書状が書かれた時代背景としては、大内義興が永正五年(1508)~十五年(1518)まで、足利義稙を擁立して在京していました。

 

そして益田宗兼も、大内氏に従軍していましたが、やがて大内氏は帰国します。

 

この書状が書かれたのは、大内氏が国元へ帰陣した、永正十五年(1518)頃と思われます。

 

読者の方は、【原文】や【読み下し】を飛ばして、まず【現代語訳】の方から読んでいただきたいです。

 

ボクも未熟者ゆえ、恣意的な解釈や誤訳があるかもしれませんが、それにしても、蜷川親順の書状の文面は、少しおかしな感じがするかと思われます。

 

書状のなかに何度も登場する「行縢(むかばき)」とは、“きゃはん”のことで、武士が騎馬で出かけたり、犬追物を行ったりするとき脚に付けた、すね当てのことです。

 

行縢皮とは、行縢に使用する皮のことでしょう。

 

蜷川親順は、書状のなかで、ひたすら行縢皮を求めています。

 

あまりに熱くなっているので、ボクは最初、彼は書状を宛てた益田宗兼に恋をしているのではないか、と憶測しました。

 

しかしさらに憶測しますが、彼は恋をしているというより、少し頭が熱くなりすぎる傾向があり、それで少々正気を失っているのではないでしょうか。

 

書状の最後に、「書状躰可有御免候、かしく」=「お手紙の有様についてはお許しください」と書いており、微笑ましいというか、笑ってしまいます。

 

 

ちなみに蜷川親順と益田宗兼は、大内義興が上洛した永正五年(1508)から交流が確認できます(『益田家文書』252)

 

この書状が書かれたのは、永正十五年(1518)頃に比定されるので、彼らは十年来の「親友」だったのでしょう。

 

 

 

 

【原文】蜷川親順書状(『益田家文書』673)

  返々、陶尾なとにハ可有御座候、併御入魂たるへく候、私の心中被仰分候て可被下候、いまハ行縢皮まてに、事をかきまいらせ候、将亦其方にて、さそ〳〵うつゝなき御遊共と奉想計候、此たき物ハ、神之三条殿の名物にて御入候、二三香と申候、をかしく候へとも、種々申入候て、すいふんに致進上候、御きやもしあるへく候、いつくに御座候とも、もとより御国へ御下向候とも、不相替可申入事候、御同心可為本望候、御下候ハゝ、我等も与風若州辺より舟にて罷下候て、御座所を一見申候へく候、相構え追御いたしあるましく候、をかしく候、若州ヘハ御舟細々著岸候間、御音信を可奉待候、御下向候ハゝ、京都にてのやうに御座候ハて、いかにも〳〵御しんそうにて可然候、我等罷下候とも、上さまヘハ、何事も〳〵不可申入候、あゝ〳〵、うつゝなくや、尚々自然御被官中にも、皮御座候ハゝ、申請度候、かた〳〵又重而可申入候、書状躰可有御免候、かしく、

 

重而申入候、麻上御下向之時節、具令啓上候、爰元犬追物近日ニ可有張行之由候、就其、御引目幷行縢皮之事申入候つる、御国へ御下向之由不及是非候、引目等ハ漸可出来候、未むかハき皮もとめえす候て、迷惑仕候、如何様にも御座候へ、皮申請度候、先日も陶尾へ御心底をかへりみすに令申候つる、あはれ〳〵、可然様預御入魂候ハゝ、所仰候、其方をたのミたてまつり候てある事候、是非共ニ奉待計候、鞠相調候、いけふちと申候者、罷下候間、又以愚札申入候つる、相届申候哉、誠蒙仰候ことく、御在京の時節ハ犬仕候ハて、只今おもひ立候御事、をかしき様に候へ共、無力と申候て、此まゝ候ハんする事も、餘無念に候之間、せめて一まハり二まハりなりとも仕候ハんと、存ち立事候、近比をかしく候、我等も御在京之時分ならハと、千万無念至極候、尚以、幾重も〳〵皮の事奉憑候、何かたへなりとも被仰候て可被下候、是ハ御めをかけられ候間、不顧御心底、御あまへ事に申入計候、此旨能々可被申入候、かしく、

(裏紙奥切封ウハ書)

「 (墨引)

 益田公まいる□々申給へ 蜷三」

 

【読み下し】

(尚々書き)返す返す、陶尾などには御座あるべく候、しかしながら御入魂たるべく候、私の心中仰せ分けられ候て下さるべく候、今は行縢皮までに、事をかきまいらせ候、はたまたその方にて、さぞさぞうつつなき御遊びどもと思い奉るばかりに候、この薫物は、神の三条殿の名物にて御入り候、二三香と申し候、おかしく候えども、種々申し入れ候て、ずいぶんに進上致し候、御伽もしあるべく候、いずくに御座候とも、もとより御国へ御下向候とも、相替わらず申し入るべき事に候、御同心本望たるべく候、御下り候わば、我等もふと若州より舟にて罷り下り候て、御座所を一見申し候べく候、相構え追御いたしあるまじく候、おかしく候、若州へは御舟細々着岸候間、御音信を待ち奉るべく候、御下向候わば、京都にてのように御座候わで、いかにもいかにも御真相にて然るべく候、我等罷り下り候とも、上様へは、何事も何事も申し入るべからず候、ああ、ああ、ううつなくや、なおなお自然御被官中にも、皮御座候わば、申し請いたく候、かたがたまた重ねて申し入るべく候、書状の躰御免あるべく候、かしく、

 

重ねて申し入れ候、麻上御下向の時節、つぶさに啓上せしめ候、ここもと犬追物近日に張行あるべきの由に候、それにつき、御引目ならびに行縢皮の事申し入れ候つる、御国へお下りの由是非に及ばず候、引目などはようやく出来すべく候、いまだ行縢皮求めえず候て、迷惑仕り候、いかようにも御座候え、皮申し請いたく候、先日も陶尾へ御心底を顧みず申さしめ候つる、あわれあわれ、然るべきよう御入魂に預候わば、仰ぐ所に候、その方を頼み奉り候てある事候、是非ともに待ち奉るばかりに候、鞠相調い候、池淵と申し候者、罷り下り候間、また愚札を以て申し入れ候つる、相届き申し候や、誠に仰せを蒙り候ごとく、御在京の時節は犬仕り候わで、ただいま思い立ち候御事、おかしき様に候えども、無力と申し候て、このまま打ち置き候わんずる事も、あまりに無念に候の間、せめて一回り二回りなりとも仕り候わんと、存じ立つ事に候、近ごろおかしく候、我等も御在京の時分ならばと、千万無念至極に候、なお以て、幾重も幾重も皮の事頼み奉り候、いずかたへなりとも仰せられ候て下さるべく候、これは御目をかけられ候間、御心底を顧みず、御甘え事に申し入るばかりに候、この旨よくよく申し入れらるべく候、かしく、

 

【現代語訳】

重ねてお手紙を申し入れます。麻上(麻生上総介)が御下向した時に、くわしく申し上げます。

こちらは犬追物を近日に行うということです。

それにつき、御引目(矢じりを除いた矢の一種)と行縢皮のことを申し入れました。

御国へお下りになることは、しようがないことです。

引目などはようやく完成しそうです。

いまだ行縢皮は手に入っておらず、困っています。

どうしてでも、皮をちょうだいしたいと思います。

先日も陶尾(陶尾張守興房)へ御心底をかえりみず申し上げました。

あわれあわれ、よろしく御入魂に預かってご援助を請いたいと思います。

あなたを頼りにしております。

是非ともお待ちしています。

鞠は調達できました。

池淵という者が、そちらへ下向するので、またお手紙で申し入れました。

届いたでしょうか。

本当におっしゃるように、あなたが御在京の時は犬追物をせず、今になって思い立ちになったことは、おかしなことのようです。

しかし無力ということで、このまま放って置くことも、あまりに無念なので、せめて一回り、二回りであってもやってみようと思っています。

最近はおかしなことです。

私も、あなたが御在京の時ならばと、千万無念至極です。

なおもって、何度も何度も行縢皮のことをお頼みします。

どこへなりとも仰せになってください。

私はあなたに御目をかけていただいたので、御心底をかえりみず、あなたに甘えて申し入れるばかりです。

このことをよくよくお申し入れになってください。

 

(追伸)

繰り返しますが、陶尾(陶尾張守興房)などは行縢皮を持っているでしょう。

結局、あなたと陶は御入魂の仲です。

私の心中をお考えになってください。

今は行縢皮のことで、心をかきむしっています。

ところであなたは、さぞさぞお遊びにうつつをぬかしていると思います。

この薫物は、神の三条殿の名物です。

「二三香」といいます。

おかしなことですが、色々と申し入れて、あなたにたくさん進上いたします。

御伽はもしかしたらお持ちでしょうか。

どこにおられても、もとより御国へ御下向になっても、相変わらず申し入れることにします。

御同心してくだされば本望です。

御下向になったならば、私もにわかに若狭国あたりから舟で下向して、あなたの御座所を一見したいです。

お構えになって追御(未詳)しないでください。

おかしなことです。

若狭国へは舟がたびたび着岸しているので、お手紙をお待ちしています。

御下向されたならば、京都にいた時のようではなく、いかにも実際の有様がよろしいでしょう。

私が下向しても、上様(将軍・足利義稙)へは、何も申し入れないつもりです。

ああ、ああ、正気を失っています。

なおなお、もしあなたの御被官で、皮をお持ちであれば、ちょうだいしたいです。

様々にまた重ねてお手紙を申し入れます。

お手紙の有様については、お許しください。



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